ここさいきんのこと(会社を休んでひきこもり)
あの投稿をして1ヶ月たたないうちに、病状が悪化した。
とりあえずてきとうに時系列で書いていく。
備忘録的な意味合いで。
おいおいちゃんと1件ごとにかくとおもうけど、ちょっといまはそこまでやるの厳しいです。
まず、眠れなくなってしまった。
ヨガや深呼吸をしてもまったくねれず、朝4時を迎える。
かといって仕事に行かないわけにも行かず、仕事に向かう。
その繰り返しだった。
そして数日後、全身に痛みが走り出した。
これはまずいと思い、心療内科に相談をした。
でもその後すぐに、起きることができなくなってしまった。
朝は大半の人がだるさを感じつつも起きるものだが、
だるさが非常に強く、起き上がることができなかった。
また、吐き気が強く、食べてもすぐ戻してしまった。
摂取しているのが、1日多く見積もって300kcalほど。
(体調が悪くなる前にカロリーを計算する習慣がついていたので、本当に良かった)
会社に行けない日が1週間続いてしまい、マズいと思って心療内科に再度駆け込んだ。
2週間の休養という診断と、別の薬をもらった。
以前飲んでいた、「ドグマチール」だった。
「おそらく吐き気から眠れなくなっているので、睡眠薬はそのままにしておきます」
吐き気はその後、1週間でおちついた。
が、全く寝れなかったので再度心療内科に相談した。
「まず寝付きが悪いので、ハルシオンを0.125ミリだしておきますね」
ハルシオンと、新しく「ジプレキサ」が処方された。
ドグマチールはそのまま継続。
初日はなんとか1時間半で眠ることができたが、2日目以降になるとあまり眠れなくなった。
ヨガをやったり白湯を飲んだりしたが、眠気が来ない。
眠ることができないのにはなれていたので、「また今度行くときに相談しよう」と思えたのだが、
今週になって食欲が湧いて困る。
しらべると、ジプレキサの副作用がどうやら食欲を増進させているみたい。
ここ2日、確実2000kcalほどたべている。
(そしてこれを書いている今も非常に空腹状態である)
それについても、お医者さんとの相談かなとおもう。
いまの体調や精神状態
- 朝の記憶がほとんどない
- 15時すぎまで布団からあまり出ることができない(トイレで出る程度)
- 食欲は非常にある
- 好きなことはぎりぎりできるが、しっかり取り組むと数時間倒れる
- 基本的に全身が痛い
- 眠れない
- 外を歩いたり人と話すのが怖い(彼氏でも接するのが辛いことがある)
- とてもハイになって、元気になるかと思えばその後うつになる
幸せと当たり前の履き違えで苦しい
幸せの価値って、みんな無意識に設定しているんだけど、実は大差ない。
ご飯が食べられることだって、幸せなこと。
お水が飲めるのも幸せなこと。
生きてるだけで幸せなこと。
けれど、その生活を何年も何十年も続けていると、それが当たり前になる。
それがそのうち、大きな理想像としてのしかかってくる。
「生きてて当たり前」「水が飲めて当たり前」「ご飯食べられるのも当たり前」
「学校に行くのは当たり前」「友だちがいるのは当たり前」「恋人がいるのは当たり前」
「テストで良い点取るのは当たり前」「部活で活躍するのは当たり前」
「良い大学に進学するのは当たり前」「良い企業に入るのは当たり前」
「仕事はできて当たり前」「休憩時間以外、一切の休憩をしないのが当たり前」
「結婚するのが当たり前」「『結婚=負け組』なのが当たり前」
「子どもができたら、聖母になるのは当たり前」「育児と仕事の両立は当たり前」
「親の介護をするのは当たり前」「老後の貯金1億円は当たり前」
それって、本当に当たり前なの? ってところまで、当たり前とする人がいる。
あろうことか、その当たり前を他人に強要するような人もいる。
毒親がわかりやすい例だろう。他にも、ネットにたくさんいる。
相手が悪人とでも思っているのか、みんな総じて攻撃的な文章だ。
鬱になりやすい人は、その当たり前に縛られて生きている人が多い。
そして、それができずに心が潰されていく。自尊心が汚れていく。
「自分はなんてだめなんだろう」
でも、目にする「当たり前」という名の「理想」が高くて、プライドまで高くなってしまう。
「こんなの、普通だったら出来るのに」
「もっとできなきゃいけないのに」
「本当だったら出来るのに」
なんでこんなにも苦しい世界なんだろう。
みんな当たり前に振り回されて、
「これができなきゃガッカリされる」
「失敗したら周囲が離れてしまう」
と常に心配しながら過ごしている。
その理由がどこにあるのか分からない。
社会の仕組みかもしれない。教育方法なのかもしれない。
全てが合わさって、こんな状況が生まれているのかもしれない。
わたしも、「当たり前」に小さい頃から苦しんでいる。
プライドだって高い。ちゃんとしないと許されない気がする。
とても苦しい。いつまでこんな苦しい考え方でいるんだろう。
ここさいきんの日々のこと。昔のこと。
以下、とりとめもなくまとまってない日記。
だいぶ、このブログを書き始めた当初よりも調子が良くなった。
なにより、不眠が少し改善したのがとても良い。
仕事と病院の両立すらできなくて、病院はしばらくいけていない。
今月は頑張っていきたいけど、しばらく行けていないのでお医者さんは呆れていると思う。
うつって、なにをもって寛解というのかがわからない。
おそらくわたしは、まだ寛解の「か」の字にも届いていない気がする。
そもそも、届いている日を過ごしたことがあるのだろうか。
小さい頃から、いつも自分の存在意義を否定してきた。
存在することが不安で、生きることすらしんどい。
それがわたしのデフォルトなのだ。物心ついた頃から、もうずっと。
自信がなくて、よく卑下してしまう。
そのくせ、ちょっとした一言が自分を否定する言葉に聞こえる。絶望する。
自分は自分を否定しても平気なのは、本当は「そうじゃないはず」って思ってるから。
「本当はもっと、なにか良い所があるはず」と思ってるから。まだみつからないんだけどね。
まだみつからないからこそ、他人から指摘されると納得して絶望してしまう。
「やっぱりダメな人間だ」という誇大妄想を、自分に突きつけてしまう。
自分に対して、条件付きで接してしまう。
もしかしたら、本当は小さい頃からうつだったのかもしれない。
周りも自分も気付かなかっただけで。
育ち盛りなのに食べられず、3時過ぎても寝れない日々が続いていた。
「きっと思春期というのはこういうものなんだ」って思いながら生きていた。
みんなつらくて、自分を殴って、親に殴られて生きているんだ。
高校生にもなったら、幻聴が聞こえるようになった。悪口を言われていると錯覚した。
母親に相談したら、「気のせいだ」で終わった。
ううん……今思うと、かなりのうつだったと思う。統合失調症の類だったのかもしれない。
今でもなんで生きているのか。生きている意味があるのか考えてしまう。
そのたびに、彼から「生きるための意味なんてないんだよ」と言われる。
「意味なんて見つけなくていい。意味を見つけたら、生きることが義務になる」
それでも、好きなことをすることに、なぜか罪悪感があるんだ。
こんな人間に、好きなことをする権利があるんだろうか。
そもそも好きなことってなんだろう。