まこのきもち

うつ病を治すため。ACを直すため。日々のことや気分のこと

心療内科で自分の過去について軽く語りました

さっそく、本日心療内科に行きました。

  • 最近ちゃんと眠れている
  • 吐き気は相変わらずだが、頻度が減った
  • 抗うつ・安定剤は飲んでいる

それらを伝えたら、お医者さんが大変驚いていた。
特に、睡眠に関しては。
「自己解決力や、コントロールが上手いんですね……」

これは、以前にも似たようなことを言われた。そう、初診の頃だった。
「自己分析や解決力に秀でている。」

ある程度、現状の体調報告をしたところで、本題に入った。

母親について

母親については前回の記事と似たようなことを伝えた。

  • 2時間正座で、ビンタをされる。
  • 母親のストレス発散のため、殴られる。
  • 包丁を向けられ「死ね」と言われる。

他にもいろいろとあったが、この時点で
「相当……あの、過激なお母さんといいますか――」
お医者さんは相当言葉を選んでくれたと思う。

こんなところでも、わたしは母の面子を保とうと
「はい、なんというか……激情型、なんです」
と、自分なりに無難な言葉を選んだつもり。

虐待という言葉は出なかったものの、
その言葉がお互いの脳裏によぎったのは間違いない。


今は感情を抑圧していても、おいおい母みたいになってしまうのが怖い。
特に子どもができたときが怖い。
いつも生活していて息苦しい。自分を責めてしまう。
いろいろと考えたが、原因が母の否定的な行動しか思いつかない。

と伝えた。お医者さんも完全に同意してくれた。

「でもまこさん。本当に、なんというか……自分をコントロールするのが上手ですね」
「そうですかね……?」
「彼氏さんとは、喧嘩しないでしょ?」
「そうですね、あんまりしないと思います」(年に1~2回ほど)
「普通は母親のように、激情型になってしまうんですよ」

そう、普通は激情型になる。
お医者さんの意見は当たっている。20歳の頃のわたしは、そうだった。激情型だった。
ほんの少し前まで、激情型だったとおもう。
振りかえってみると、母のようだった。至極反省した。


キッカケは、ほんの些細なこと。
けど、大事なターニングポイントだったとおもう。

わたしは、新しい人が入ってくるのが苦手だった。
自分のテリトリー内に、得体も知れないなにかが入ってくる感覚。
なので、新しい人には冷めた対応をしてしまっていた。
時間が経てば仲良くなるのだけど、初日とかもう最悪だった。

しばらくして、体調不良だったとき。新人の後輩さんに仕事を1日代わってもらった。
そのお詫びに、その子は甘いものが好きだったので、お菓子をプレゼントした。
すっごく喜んでもらえた。それがうれしかった。
そのとき、
「なんでわたしは、この子に最初から優しくできなかったんだろう」
という後悔が強く残った。

それから、非常に自分をコントロールするようになった。
自分が後悔しないために。相手と気持ちのいい関係でいたいから。

その後付き合った彼氏に対してもおなじだった。
たまにコントロールしきれないのがキズだけど、だいぶ良くなった。

おそらく、このキッカケがなければ今も母親のようだったとおもう。
ただ、そのキッカケのせいで生き難さを感じていた。

自己肯定力がない ~ほめ日記~

「将来のことを見据えるなら、カウンセリングはいい方法かもしれないですね。
 親に否定されて育った人は、自己肯定力が非常に低いです。
 なので、まずは自分自身を褒めてあげることから始めてください。
 なんでもいいです。『今日会社行って、よくやった自分!』とか。
 日記に書いたり、自分を撫でてあげたりしてあげてください」

お医者さんに相談したかったことを、先越されて言われてしまった。
圧倒的に、自己肯定力が低い。謙遜とかせず、本気で否定してしまう。

ということで、自分をほめる日記を始めようとおもう。ここで。今日から。

自己肯定力が低いのは、大分前のエントリーにも書いていた。
けれど、イマイチどう褒めるのかが分からなかった。
"ほめ日記"というのが最近はやっているけど、効果はあるの?
なんて、つい先週末まで考えていた。
(今日までで、何十回も"ほめ日記"という言葉をみかけた)

効果とか気にするのではなく、自己肯定力を身に着ける訓練だと思えばいい。
それを手助けするツール。あくまでツールなのだ。
それをするだけでよくなるわけではない。
自分で意識して行動し続けることが大事なのだ。
と、感じた。

ツールに期待せず、自分に期待してあげる。

カウンセリングについても同じことが言えるかもしれない。
「カウンセリングすれば良くなると思ってたのに!!!!」
という声をよく聞くけど、そうじゃない。
カウンセリングもツール。あくまで補助なのだ。
自分を良くできるのは、自分だけ。

まあ、良い・合ったカウンセラーに巡り合うことが前提だけどね。

お医者さんも、「慎重に」と言ってくださった。


これから次の受診まで、自分なりに自分をほめてみよう。

毒親 アダルトチルドレンに対する気づき

「でも、だいぶ早くから自覚されていたんですね。
 普通はなかなか気づかないので。すごい早いです」
「そうなんですか……?」
「そもそも毒親や虐待は、ここ10年で明るみになった問題です。
 以前は躾ということで殴るのも当然な社会だったのですが、今では言葉での暴力もダメです。
 あの。祖母はどのような方でしたか? もしかして、お母さんと似たところありませんでした?」
「……!」

ふと思い出す。祖母のことを。
もう5年以上前に亡くなった。
けれど、わたしは祖母に対して母親と同じような嫌悪感があった。

私の従弟(祖母から見た孫)の成績が思わしくない時、決まって母に電話をする。
そして、「嫁の教育が悪い」とヒステリックに愚痴を言う。
(お嫁さんは、とても良い方です)
後に、発達障害があることがわかったのだが、それも祖母は気にくわないみたいだ。

しばらくして、従弟の絵がなにかで優秀賞をいただいた。新聞にも取り上げられていた。
それから、祖母の態度は一変した。

わたしはそれが、解せなかった。
それまでヒステリックに怒っていたのに、自分の都合のいいことがあると手の平を返す。
その一連の流れを、「母のようだ」と感じていた。


「きっと、お母さんも似た経験をされて苦しかったでしょうね。連鎖しやすいですから。
 まこさんを育児するとき、虐待や毒親に関する情報はほとんどなかったので、
 気づけなかったしどうすればいいのかわからなかったのかもしれませんね」

なるほど。それは非常にあり得ると感じた。
母は被害者だった故、加害者にもなってしまったのだ。

「今は無理かもしれませんが、最終的には『産んでもらってありがたい』
 ってだけでも思えるようになるといいですね」

はたしてわたしは、許せるのだろうか。
いや、許せなくてもいい。「産まれてきてよかった」と思えるのだろうか。
まだ、産まれてきて辛いことばかりで、うまくそう思えない。

でも、わたしも最終的にはそうなるといいなと思っている。
そういう期待を込めて、自分を変えたいと思っている。
お医者さんには、全部見透かされているんだなぁと感じた。

処方されたお薬

ちなみに、処方されたお薬はだいぶ減った。

  • レクサプロ
  • ロフラゼプ酸エチル

ちなみに、ロフラぜプ酸エチルは、掌の多汗でお世話になっている。
ちょっとした安定剤。
メイラックスともいう(´・ω・`)