まこのきもち

うつ病を治すため。ACを直すため。日々のことや気分のこと

幸せと当たり前の履き違えで苦しい

幸せの価値って、みんな無意識に設定しているんだけど、実は大差ない。
ご飯が食べられることだって、幸せなこと。
お水が飲めるのも幸せなこと。
生きてるだけで幸せなこと。

けれど、その生活を何年も何十年も続けていると、それが当たり前になる。
それがそのうち、大きな理想像としてのしかかってくる。

「生きてて当たり前」「水が飲めて当たり前」「ご飯食べられるのも当たり前」
「学校に行くのは当たり前」「友だちがいるのは当たり前」「恋人がいるのは当たり前」
「テストで良い点取るのは当たり前」「部活で活躍するのは当たり前」
「良い大学に進学するのは当たり前」「良い企業に入るのは当たり前」
「仕事はできて当たり前」「休憩時間以外、一切の休憩をしないのが当たり前」
「結婚するのが当たり前」「『結婚=負け組』なのが当たり前」
「子どもができたら、聖母になるのは当たり前」「育児と仕事の両立は当たり前」
「親の介護をするのは当たり前」「老後の貯金1億円は当たり前」

それって、本当に当たり前なの? ってところまで、当たり前とする人がいる。
あろうことか、その当たり前を他人に強要するような人もいる。
毒親がわかりやすい例だろう。他にも、ネットにたくさんいる。
相手が悪人とでも思っているのか、みんな総じて攻撃的な文章だ。


鬱になりやすい人は、その当たり前に縛られて生きている人が多い。
そして、それができずに心が潰されていく。自尊心が汚れていく。
「自分はなんてだめなんだろう」
でも、目にする「当たり前」という名の「理想」が高くて、プライドまで高くなってしまう。
「こんなの、普通だったら出来るのに」
「もっとできなきゃいけないのに」
「本当だったら出来るのに」


なんでこんなにも苦しい世界なんだろう。
みんな当たり前に振り回されて、
「これができなきゃガッカリされる」
「失敗したら周囲が離れてしまう」
と常に心配しながら過ごしている。

その理由がどこにあるのか分からない。
社会の仕組みかもしれない。教育方法なのかもしれない。
全てが合わさって、こんな状況が生まれているのかもしれない。


わたしも、「当たり前」に小さい頃から苦しんでいる。
プライドだって高い。ちゃんとしないと許されない気がする。
とても苦しい。いつまでこんな苦しい考え方でいるんだろう。