まこのきもち

うつ病を治すため。ACを直すため。日々のことや気分のこと

父が母を激怒した日

母は、子どもの成績に過敏だった。
母が満足できる成績でなければ、ゴミ扱いだった。
そんな母が、父の前でわたしを怒った結果。

父の帰宅

その日、父はいつもより早く帰ってきた。母より早かった。
仕事が早く終わったそうで、17時半には寝間着に着替えてテレビを見ていた。
普段は21時過ぎに帰ってくるので、わたしは非常にうれしかった。
わたしは父っ子だったのだ。父は甘やかしてくれるし、遊んでくれる。
宇宙や恐竜のことについて教えてくれるし、たくさんの本を読ませてくれる。
たまに拳骨はくるけど、ほんとに軽いものだった。
父は母より大切にしてくれるので、大好きだった。

ちょうどその日はわたしのテストの結果が帰ってきたころだった。
中学一年生。はじめての期末試験。
中間テストの試験結果では散々で、母にビンタされた。
「勉強しないと」と焦ったわたしは、人並みに勉強した。

「苦手科目、勉強したら40点から70点に上がったんだ!」
そういって、解答用紙を見せると、
「お、前回よりも凄い上がってるじゃないか。やればできるんだな。」といって、父はとても喜んでくれた。
それがすごく嬉しかった。勉強した甲斐があった。

母の帰宅、父の怒号

母が帰ってきた。もちろん母にも見せる。頑張った結果だ。
「は? 70点で喜んでるの? こんなの100点取れる問題でしょ!!」
怒られた。びっくりした。

父「いやいや、まこは頑張って苦手科目の点数を上げたんだぞ?」
母「でも、たった70点よ。何言ってるの? こんなの100点取れて当たり前なの」
父「ちょっとお母さん、それは違うんじゃないか。100点なんてのはなかなか取れないんだぞ」
母「勉強してればとれるわよ、こんな問題!! たった30点上がっただけで喜んでるなんて」
母「第一、平均点は何点なのよ」

私「65点……」
母「ほぼ平均点じゃない。普通。だからダメなのよ」

自分なりに勉強した苦手科目。平均点よりちょっと超えて嬉しかった。
前回の自分よりたくさん成長できてうれしかった。
お父さんに褒められてうれしかった。お母さんにも喜んでもらえると思ってた。

待ってたのは軽蔑だった。
ショックでなにも言えなかった。

ああ、勉強してもしなくても変わらないんだ。なんだ。勉強したら損なんだ。

おそらく、父から見ると私は絶望しているように見えたと思う。
噛みつくようにフォローをした。

父「あのね、お母さん。あなたね、簡単に100点取れるなんて言うけど、100点ほど難しいものはないんだよ」
語り口調は、子どもを諭す親のようだった。
父「人間、ミスもある。覚えられないのもある。
  そんな中、完璧に回答するなんて、それほど難しいことはない」

母「中学一年生の勉強でしょ? 100点なんて簡単じゃない」
母は譲らなかった。どんどん剣幕が険しくなり、顔も赤くなっている。
父「そりゃ、あなたは簡単に思うかもしれない。一回習ったからね。でもまこは初めて習ったんだ
  それに、100点に価値があるわけじゃない。前回より頑張ったことに価値があるんだよ」

母「でも簡単よ!! 普通は100点取るの!! 取らなきゃいけないの!!!!」

父「ならあなた、このテストで100点取れるんだね。
  取れるんでしょう、そんなに言うなら。
  勉強しなくても取れるよな!! 今やってみなさいよ!!」

父が、怒鳴った。激怒した。さっきまで穏やかに母を説得していたのに。
「緩急付けた説得……さすがだ」なんて今は思うけれど、
当時の私は父が気が狂ったのではないかと心配だった。

父は、私に問題用紙を持ってくるよう言った。
この重い空気に逆らうことはできず、しぶしぶ問題用紙をもってきた。

羞恥

父「ほら、解きなさい。全問正解できるんだろう?」
母の前に、父愛用の鉛筆を置く。
母は父に促されるよう、解こうと鉛筆を持った。

けれど、その手が動くことはなかった。
母はわからなかったのだ。自分がばかにしていた問題を、解くことが出来なかった。

父「自分が出来もしないことを、子どもに押し付けるのはよくない。
  ましてや100点にこだわるのはよくない。
  まこは頑張ったんだよ。お母さんが今解けない問題を、まこは解いた。
  お母さんは、そうやって怒る資格なんてないんだよ。」

いつもよりも頑張った自分を褒めてほしかった結果、リビングは非常に重い空気になった。

母は、非常に苦痛だったんだと思う。
そりゃそうだ。自分がばかにしていたテストが少しも解けないんだから。
ましてやそれを、さっき怒鳴った子どもに見られているのだから。

唯一の救いは、弟がサッカーで帰宅が遅かったことだった。

それ以降、母はわたしに憎しみを抱いたのか、怒り方がますます酷くなった。
そして、わたしを怒るときや殴るときは、必ず父がいないところで行った。

「父は必ず母の味方をしてくれる」とは限らないことを、知ったからだろう。