まこのきもち

うつ病を治すため。ACを直すため。日々のことや気分のこと

ここさいきんの日々のこと。昔のこと。

以下、とりとめもなくまとまってない日記。

だいぶ、このブログを書き始めた当初よりも調子が良くなった。
なにより、不眠が少し改善したのがとても良い。

仕事と病院の両立すらできなくて、病院はしばらくいけていない。
今月は頑張っていきたいけど、しばらく行けていないのでお医者さんは呆れていると思う。

うつって、なにをもって寛解というのかがわからない。
おそらくわたしは、まだ寛解の「か」の字にも届いていない気がする。

そもそも、届いている日を過ごしたことがあるのだろうか。
小さい頃から、いつも自分の存在意義を否定してきた。
存在することが不安で、生きることすらしんどい。
それがわたしのデフォルトなのだ。物心ついた頃から、もうずっと。

自信がなくて、よく卑下してしまう。
そのくせ、ちょっとした一言が自分を否定する言葉に聞こえる。絶望する。
自分は自分を否定しても平気なのは、本当は「そうじゃないはず」って思ってるから。
「本当はもっと、なにか良い所があるはず」と思ってるから。まだみつからないんだけどね。
まだみつからないからこそ、他人から指摘されると納得して絶望してしまう。
「やっぱりダメな人間だ」という誇大妄想を、自分に突きつけてしまう。

自分に対して、条件付きで接してしまう。

もしかしたら、本当は小さい頃からうつだったのかもしれない。
周りも自分も気付かなかっただけで。
育ち盛りなのに食べられず、3時過ぎても寝れない日々が続いていた。
「きっと思春期というのはこういうものなんだ」って思いながら生きていた。
みんなつらくて、自分を殴って、親に殴られて生きているんだ。

高校生にもなったら、幻聴が聞こえるようになった。悪口を言われていると錯覚した。
母親に相談したら、「気のせいだ」で終わった。

ううん……今思うと、かなりのうつだったと思う。統合失調症の類だったのかもしれない。

今でもなんで生きているのか。生きている意味があるのか考えてしまう。
そのたびに、彼から「生きるための意味なんてないんだよ」と言われる。
「意味なんて見つけなくていい。意味を見つけたら、生きることが義務になる」

それでも、好きなことをすることに、なぜか罪悪感があるんだ。
こんな人間に、好きなことをする権利があるんだろうか。
そもそも好きなことってなんだろう。