まこのきもち

うつ病を治すため。ACを直すため。日々のことや気分のこと

"お手伝い"が怖い

むかしから、親はわたしのことを「なぜ」という言葉で詰問したの。

「なんでこんなこと」
「なんでしていいとおもった」
「なんでお母さんが頑張ってるのに、あんたは」
「なんで」「なんで」「なんで」「なんで」「なんで」

記憶では、わたしが4歳くらいのころからずっとだ。
記憶がないだけで、もっと前からかもしれない。
当時は、まだ母が好きだった。なにか力になりたかった。
母はもうその頃働いていて、忙しそうだった。
いつも、愚痴を零していた。泣いていることもあった。

力になるには、なにか実力で示さないといけない。
そんなことを、幼いながらに考えていた。
我ながらに、無駄に結果主義だなぁと感じる。
(いまでもこの考え方から抜け出せておらず、自己否定をよくする)

はじめてお手伝いしようと思った日

一人で留守番していて、母の帰宅が遅いときだった。
「お母さんはごはんを作るとき、いつも人参を切っている」
台所に踏み台を持っていく。包丁とまな板を準備する。

にんじんの頭を切る。成功。
皮をむく。そこで指を切ってしまった。血が出る。
失敗してしまった……。

急いで絆創膏を探して貼るも、なかなかうまくいかない。
そうこうしているうちに、母が帰宅した。
そして、私を見るやいなや、すごい形相をして叱責した。

「なんでこんなことをしたの!?
 余計なことしないで。迷惑じゃない!!!!」

ずっと喚いている母。何も言えずに泣く私。
泣く私をみて、さらにヒステリックになる母。

「泣けば許されると思ってるんでしょ。許さないからね」

そういわれても、涙がとまらない。
涙が止まらない私に対して、怒りが止まらない母。

「なんであんたはそんな風にできないの?」

悪循環。非常に怖かった。

私にももちろん落ち度はあった。
親がいないのに、勝手に手伝おうとしたこと。
よりによって、危ない包丁を利用したこと。

でも、正直そこまで考えが至らない。
4歳の想像力なんてたかが知れています。
包丁は料理が作れる道具としか、思ってなかったなぁと……。


それ以降、お手伝いをすることは5年以上ありませんでした。

わたしが手を出すと邪魔。迷惑。やらないほうがいい。
やったらまた怒鳴られる。お手伝い怖い。

そんなことばかり考えていて、なにもしなかった。

お手伝い 2回目

11歳になったある日。
食後にお皿洗いをしようと思い立った。

台所に立ち、お皿を洗い出す。
以前は包丁で怪我したからダメだったけど、
お皿洗いくらいならわたしにもできるかも……。

そう思っていた矢先、お皿を一枚割ってしまった。
「なにしてるの!!!!」
そして叫ぶ母親。
パニックになって、言葉がなにも出なかった。

再び怒鳴られる。前より成長したのは、泣かなかったこと。
父はリビングで、「あーあ」という顔をしてこっちを見た。

わたしのことより、「お皿が勿体ない」とひたすら喚く母。

その結果

それ以降、わたしは母に対して手伝いを一切しなくなった。
父親に頼まれたときのみ、対応していた。
母親の力になるようにとお手伝いすることは、ゼロ回。

今度は母が、
「なんで手伝わないの」
「なんであんたはそんな悪い人になったの」
「なんでお母さんは頑張ってるのに、なにもしないの」
と怒鳴っていた。もちろんスルーした。
父にも「お母さんは仕事もして大変なんだから」と、責められた。
それでも頑なにしなかった。てきとうに返事をした。
「私が手伝ったら怒るのに、この人は何を言ってるんだろう……?」
冷めた目で母親を見ていたように思う。